ささやかな欲(エッセイ)

だんだん気温が下がってきて、予定通り起きるのが難しくなってきた。雪が降るまでジョギングを続けようと思うけれど、そこから先はまたデスクバイクのお世話になるだろう。

デスクバイクにしても、座面マットや矯正ベルトなどにしても、「設備」というものは環境を司る大きな要素である。

それもただお金をかければ良いということではなくて、自分に合ったものを見つけなければならず、するとどうしてもアンマッチが生じてしまうことがある。

似たような仕組みがSpotify(音楽ストリーミングサービス)にもある。「お気に入り」に入れてある曲から、自動的に選曲されたプレイリストが週2回配信されるのだけど、30曲程度あるうちで、新たに「お気に入り」に加わるのは1〜2曲しかない。

それでも、そのプレイリストを全て聴かないことには出会えない曲がある。ということは、聴く前からその打率の低さを覚悟しなければいけないということだ。

***

Twitterにイラストなどを投稿すると、インプレッション(閲覧数)と実際のリアクションの割合が明らかになる。

僕の場合はそれが2%~5%程度なので95%~97%(だいたい100人弱)の人たちにとっては、少なくとも「リアクションするほどのないもの」であったということになる。

そのことで傷ついてしまうとしたら、それは好みじゃない曲が混ざっているプレイリストを聞きたくないと思う気持ちに通じるものがある。

どちらの場合も「自分の好きなもの、望ましいことに目を向けよう」というアドバイスが有効なのは、そのフィードバックをどう捉えるかが、次の作業の進捗を大いに左右させるからだ。

あるいは「パレートの法則」を引用してもいいだろう。「作業」でも「顧客」でも、そのうちの2割が利益の8割をもらたすという法則だ。これはなんとなく説得力があって、体感的にも正しい気がする。

だから自分のやることは、大多数に受け入れられなくてもいい。と結論付けたくなってしまうけれど、それはちょっと単純化しすぎかもしれない。

***

イラスト投稿にハッシュタグをつけるのはあまり好みではないものの、唯一Instagramに載せる時だけは12個のタグをつけている。

SNSごとの文化の影響もありつつ、これは「この世界全体であれば、自分の絵が好きな人が100人くらいいるのではないか」という淡い期待によるものである。

リアクションを見れば、地球の裏側からLikeが飛んでくることもあり、その人の投稿を見ると…自分のイラストにかなり似ていたりして、オリジナリティとは何なのか…と悩むこともある。

ともかく、リアクションの数を決めるものの一つはインプレッション(閲覧数)の広さである。そのためにInstagramのタグのような、検索流入を生む仕組みが効果を発揮することがある。

もう一つはコミュニケーションの深度である。いつもリアクションをくれる方が、有り難いことにそれぞれのSNSにいて、僕もこの人はという作家さんの投稿をtweetdeckで逐次チェックして、リアクションとして拡散することも少なくない。

そしてリアクションの数を決める要素として、欠かすわけにいかないものが、「投稿の内容」である。これがちゃんとしていなければ、どれだけインプレッションがあっても、どれだけファンがいても、何もおこらないどころか、マイナスの影響さえある。

常に「ちゃんとした投稿」ができる人ばかりではないと思うので、これはある程度の頻度として求められるものだとしても、その「ちゃんと」の基準は人それぞれでもあるし、誰にとっても共通した基準というものも、たとえば誰が見ても一定の評価をせざるを得ない作品というものもある。

僕は全ての人に受け入れられたいとは思えない代わりに、できるだけ多くの「自分の絵が好きな人」に受け入れられるようになりたい。その中には一番面倒な審判員であるところの「自分」も含まれてはいるのだけど、それはさておいて、考えなければいけないことは、まず内容であり、次にインプレッションの拡大だと思っている。

そのはずが、どうも「宣伝」のようなことをする気になれない。それよりも、いつも良くしてくれる人たちのために描くという方へ気持ちがいってしまう。

考えられる理由の一つは、宣伝というものの構造にある。宣伝とは他者の限られたリソースを、他の「宣伝」と奪い合うものだ。そんな風に他人の作品と張り合うくらいなら、自分が好きな別の作家さんの宣伝に加担したい。と思ってしまう。

もう一つは、他人のことを気にし始めると、どうも上手くいかないということである。自分や自分の作品が、どう他者に受け入れられるか?ということを考え始めると、どの分野でも、まったく何もできなくなってしまう。

だから時間と気力をかけてその「縛り」を取り払って、周りや未来のことはまるで何も考えていないかのように、あるいは実際に何も考えずにやらなくてはならず、この制約が「宣伝」という行為とすこぶる相性が悪い。

将来的には自分の作品や仕事が、それを求めている人まで届くように、誰かの力を借りなくてはいけなくなる日がくるのかもしれない。

それまでには、なんとかそれに値するような人間になりたいということが、今の僕の欲望するところである。

(引用元:2018年9月3日の日記



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA