信頼感について、考えられるところまで(エッセイ)

朝の気温が下がるほど、起床時間も遅くなる。もう自分の中では「冬」なのだけど、セーターを着て出ようとしたら「季節感がない」と言われてしまった。

 

特別に低血圧や低体温ではないものの、どうも寒さに弱い。そろそろ腹巻きの出番かもしれない。

 

最近は就寝時間が遅くなっており、日中の進捗が下がっているのを感じる。そしてそれと反比例するように、焦りが増していく。

 

若い頃はエネルギーがある分、その焦りに任せて勢いで色々とやろうとしてきたけれど、今はもう全然無理できずに半分くらいの予定で進行している。

 

そういう時に、自分のしたことが誰かに喜ばれるということは、まるで副作用のない強壮剤で、そのおかげで作業がさらにもう少しだけ進んだりもしてしまう。

 

なんとなく自分が存在していいと思えるような、社会に参画していても構わないと言われているような感覚が、生きていくためには必要なのかもしれない。




 

SNSの台頭によって、価値を表すものが「資産」から「影響力」にシフトしていったと考えていて、今はそれが「信頼感」にシフトし始めているような気がしている。

 

もちろんこれは価値を「表す」ものの話であって、たとえば資産そのものの価値が下がったかというと、それは一概に言い切れないだろう。

 

ただ、その価値が、従来よりも相対化されてきたということは言えるかもしれない。つまり「影響力」や「信頼感」と交換可能になってきたということである。

 

そういった「シフト」や「相対化」が可能になるということは、それらの価値を担保する何かが根底にあるということだけど、その話は人間個体と環境世界、精神と物理の相互作用についての入り組んだ話になりそうで、ちょっと言い表せる自信がない。

 

だから、そういう話ではなくて、「価値が『信頼感』にシフトしてきた社会」という仮定において、たとえば僕なんかはどういった行動を選択したらいいのか?ということを考えていきたい。

 

***

 

「信頼感」の面白いところは、嘘偽りなく品行方正であるということだけでなく、どれだけのことが実行できるのか、という能力・スキルにおいても適用される点である。

 

それを考えると、これは何らかの総合評価とも言える。その要素を思いつくままに分解してみよう。

 

(コンプライアンス系信頼感)
・約束を守る・・・期日、ルール、守秘義務を守る
・嘘をつかない・・・ごまかしやフェイク、誇大表現を使わない
・感情の抑制が効く・・・むやみに負の感情を顕わにしない、人を傷つけない

(能力・スキル系信頼感)
・やってくれる・・・求められたクオリティを達成する
・わかってくれる・・・意思疎通のスムーズさ
・すぐやってくれる・・・レスポンス、行動の早さ
・ずっとやってきた・・・実績、継続力

 

こう列挙してみると、全てを十分にクリアするということは難しそうだ。というか、全てをクリアしている人ならばどんな社会でもやっていけそうな気がする。

 

では自分の弱い部分はどこだろう?と考えるには良いかもしれない。たとえば僕は感情の抑制と、クオリティが弱いから、それを補完するための具体的な施策を考えて、試すことにはきっと意味がある。

 

ただ、ここまで考えて、この「信頼感」を追求するだけで、その人が「影響力」の増大を経由して「資産」の獲得に結びつけることができるのかというと、話はそこまで単純ではないようにも思われる。

 

だから、ある段階でその人は「助け」を自発的に求めなくてはならないかもしれない。それが「信頼感」経済における株式の上場のようなもので…いや、しかしその規模は、初めは小さくやがて大きく、と火種のように育てていくものかもしれないから、上場の例えだけでは不完全かもしれない。

 

「助け」というとイメージが先行してしまうけれど、何かをお願いするだけでなく、呼びかけたり、問いかけたり、そういう発信をしていくということ全体を指して言いたいので、これは「声を上げる」の方がふさわしいだろうか?でもこれはこれで告発や弾劾のニュアンスがあるので、うーむ…

 

ともかく、そういった「発声」が必要になる段階がきっとある。ただしそのタイミングと内容を見極めることができたら、それは既に相当大した人間で、大抵は時期尚早だったり、見当外れだったりしてしまう。

 

初めからうまくいかないことは、失敗を重ねるしかない。しかし失敗は「信頼感」の喪失を伴う。そこをどうやって安全に失敗することができるか。ということを考えるのは、遠回り過ぎて不毛だろうか。

 

そこで「限定されたコミュニティに属する」とか「師匠や先達を見つける」とか「とにかくやってから考える」とか、色々なハックが登場する。それ自体はもちろん良いことで、ただしそういうハックが適用されなければ全て悪、ということではないはずだ。

 

そして「信頼感」が複数の要素によって構成されるということは、求められる「信頼感」にも種類があるということになる。全人格的な向上を目指しつつ、まずは自分の強み(自分のもつ信頼感の種類)を活かせる場を探してさまようことが必要になってくる。

 

その「さまよい」の場として、まずメジャーなSNSを選択するのは間違っていないと思う。そこから自分のキャラ(信頼感)に合ったプラットフォームを見つけて、そこで他者との関係性を開拓していく中で、人格と能力の向上を図るのが良い…とまで書いて、こんなことは有史以前から繰り返されているヒトの生存戦略だったような気がしてきてしまった。

 

***

 

そんなことを考えたり、考えなかったりして、とりあえず僕はあまり他の人がやっていないようなキャラとカラーを出して生きていくという戦略を選んでいることになる。

 

きっと最適解ではなかったのかもしれないけれど、それでも今生きていけているということは、ある程度は間違っていないのかなと、正直なところ思っている。

 

「何とかなるさ」が自信だとすれば、僕は自信家だと言えるだろう。その一方で、客観的に自分の抱える価値(資産・影響力・信頼感)を評価すると、その自信を裏付けするには明らかに不十分であるのも事実である。つまりこの自信には根拠がない。

 

物事を突き詰めて考えていくと、必ずある地点から、言葉にできず不合理で謎めいた領域にぶちあたる。それは当然のことであって、こういうことにも個体差があって、僕なんかは随分手前で進めなくなっている方かもしれない。

 

でもだからこそ、考えることができるところまでは考えて、行けるところまでは行く。これはそういうことが結局好きだということもあるし、分からないもの、謎めいたもののその外郭だけでも捉えようとすることが、今までに自分を救ってくれたという記憶が、漠然と残っているからでもあるだろう。

 

(引用元:2018年9月12日の日記




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