穏やかなリセッション(エッセイ)





昨日からの不調が続いており、どうしたものかと思っていたけれど、今日になってそういえば、これが自分の通常モードなのだったと気がついた。

 

最近までが妙にテンションが高かっただけで、その特殊な期間が終わっただけに過ぎない。となると、特別に焦ったり落ち込んだりする必要はない。

 

モードが変われば、一日の過ごし方も変わる。いったん外部からの情報を遮断して、できていなかった読書や、映画鑑賞などができるような時間を作っていきたい。

 

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そういえば今まで、自分から何かを呼びかけて上手くいくということが、少なかった気がする。自分から募集したり、自分から名乗りを上げるよりも、どこからともなく呼ばれて、それに応えるほうが上手くいく、というのは何故なんだろうか。

 

実生活で誰かに話しかけると、どうしても避けられてしまうし、 SNS上でも、たとえば自分が好きな作家さんに話しかけると、興ざめになってしまったり、最悪の場合、気分を害されてしまうことが多い。

 

何かそうせざるを得ないものに突き動かされる時、その力を外側に向けるのではなくて、自分の内側に向けたほうが良いということは分かっているのだけど、「特殊モード」だと、なかなかその歯止めが効かない。

 

躁鬱にしては振れ幅が可愛らしいので、これは単なる性格の部類になるのだろう。どうせ迷惑なら、自分の中で完結したほうが、被害は少なく抑えることができる。

 

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「距離感」というものが「社会性」において重要であるらしく、それを測ることに何か決定的な欠陥があると考えれば、それを相手側で調整してもらえるという意味で、受け身の姿勢は社会性に代替しうるのかもしれない。

 

そうでなくても全体の能力値が低いので、できるだけ省エネに務めることは戦略として正しい気がする。ただ、それだけでは解消できない欲求や、自尊心の欠如が蓄積されていくと、何かをきっかけにそれを清算するための「特殊モード」に突入するということだろう。

 

こうしてその時々の考えをまとめておくことが、自分を助けてくれている実感がある。まずは己を助けて、社会や他者に働きかけるのはその次だという大原則を思い出した。

 

今日も設備と音楽と、カフェインちょっとの力を借りて、やると決めたことを黙々と進めていきます。

(引用元:2018年9月23日の日記



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