ドラゴン、カナリア、スライム、ゾンビ(エッセイ)





(引用元:2018年8月1日の日記

昨日で前職場の引き継ぎが完全に終了し、一日の気力を早々に使い切ってしまったため、プログラム関係の日課を消化できずに寝込んでしまった。

 

ともあれ、これで木曜日は完全な休日になる。自分のことに使える時間と気力が長期的には増加するはずだ。とにかく他人の前に物理的に姿を晒したくなかったので嬉しい。

 

寝込もうとしたときに、力強い人たちの力強い投稿をいくつか見かけてしまって、つい自分の不甲斐なさと比べて泣けてきたのだけれど、何のことはない、彼らは別の種族なのであって、僕は自分の生存維持に努めれば良いのであった。

 

強く世界に働きかける人、変化や危機の予兆を捉える人、特別なことはなくとも生きていける人、ただ生きていくことですら困難な人

 

といういくつかの階層において、かなり下の方に位置する自分が、それでも楽しく穏やかに生活できたなら、社会全体の生活水準の向上とまではいかなくても、「あんな奴にできるんなら俺も」ということになるのではないかと思う。

 

ただし、いろんな性質と同様に「不甲斐なさ」というものは伝染する。それを抑えるためにも、僕は他者と一定の距離を保たなければならない。見世物としてか、既に感染している人たちに対して、ガラス越しに踊ってみせる以上のことを、あまり望まない方が良さそうではある。

 

力もなく、心も既に大破した人間にできることはそのくらいだ。同様に、同じ種族の人たちにも「そのくらいでいいんだよ」と言いたい。

 

しかし!主に経済的な観点からは「そのくらいでいい」と無責任に言い難いのも事実である。

 

そこで僕は「そのくらい」で生きていく方法がないかを模索するという、大それたことに取り組まずにはいられない。

 

不幸自慢も八つ当たりも、結局は見えにくいものを「支払」っている。そういったものも含めて資源の乏しい人間が、もっと楽で都合の良い生き方を明示できれば、色んなことが少し良くなるのではないか?

 

ということが、僕を社会につなげるモチベーションの一つになっている。




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