ゆるなかな変化に向けて(エッセイ)




自分の好きな詩人であるフェルナンド・ペソアという人が、「虚無」を愛し「倦怠」にずっと苛まれていた人で、コーヒーとお酒が好きで、晩年は重い肝障害で亡くなったことから、虚無感や倦怠感には肝臓の機能低下が関わっているのではないか?という持論を持っている。

 

一昨日には、ここ最近でも屈指の落ち込み方をしたのだったが、もしやと思って奥さんのシミ除けの錠剤(肝臓にいい)を飲んでみたところ、思いのほか回復が早かった(個人の感想です)。

 

あとは頭の中がずっと病んでいたときに、そういえば体の調子は悪くないよな。と思った瞬間、意識の方向が変わったからか、露骨に苦しみが緩和されたのが大きな発見だった。

 

あまり長続きはしなかったけれど、これを訓練によって操作できるようになれば、余計なことで進捗を落とさないで済むかもしれない。

 

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今思っていることは、どうしたら今できることが、今よりもできるようになるだろう?ということである。

 

何かを継続することは訓練として欠かせないけれど、訓練さえしていれば上達したり成長できるということではなさそうだ。

 

調子に乗っている時には新しいことを始めてしまいがちだけど、そういう気分のムラではなくて、それなりの計画や目的をもって新しいことを始めるということはできないだろうか。

 

そのためには今やっていることを終わらせることが先決かもしれない。DuolingoやAccess開発という、終わりというか一区切りのあるタスクがあるうちは、新しいことに気力と時間を割くことができそうにない。

 

しかし、「終わらせなければいけない」と思ってしまうと、それは義務になってしまう。義務になってしまうと、消費する気力が甚大になってしまうので、そういうことはできるだけ考えないようにして、「気がついたら終わっていた」の境地を目指す。

 

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あるいはタスク単位ではなくて、今やっていることの中でマイナーチェンジを図るというやり方がある。日記でも最低文字数を決めてみたり、挿絵をもう一つ増やしたり、嫌気のささない程度に負荷を上げる場合もあれば、対話形式にしたり、全文英語で書いてみたりして、抜本的にルールを変えることもできる。

 

「仕事は楽しいかね?」には「毎日変化すること」が掲げられていた。今の僕は何かを続けることはできていても、何かを変化させ続けることはできていない。意識を高く持つとかそういうことではなくて、どちらかというと意識が求めている結果に対して低すぎる。

 

意識が低い(どころか意識レベルが低く朦朧としがち)のは性分なので、毎日は無理でも毎週に一度くらいは、やっていることに変化をつけようとするのが関の山だろう。

 

ということで、毎週火曜日は何か変化をつける日にしてみようと思う。そしてどんな変化をしたかを、日報にも記録しよう。そういう些細なことが、のちの自分を大きく助けてくれたという経験にある種、味を占めているという言い方もできるかもしれない。

(引用元:2018年9月25日の日記



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