サポート付きの瞑想法を探す(エッセイ)





秋期限定で演奏のお仕事が入り、Access開発もそろそろ提出できるので、何とか年を越せそうだ。

 

来月からは手の回らなかった作業を再開して、ささやかにでも実績を作っておきたい。

 

そのために必要な設備というのは、もうほとんど揃っている状態である。というか、これ以上設備に投資しても、自分がボトルネックになっている限りは、あまり効果が期待できない。

 

睡眠・栄養は十分すぎるほど摂っている。運動もしている。暖もとっている。やりたいこともある。それなのに、具体的に何かをしようとすると、すぐに頭と体が止まってしまうのはどうしてだろう?

 

この日記も3時間以上、ここから先に進めずに、頭を抱えながら画面を見つめている。

 

うーん…

 

まさか、年を越せる算段がついたことをいい事に、「年を越すまでは何もしなくていい」と思っている節があるのではないか?

 

だとしたら、呆れて笑えてきてしまう。笑えてくるということは、おそらくそれで間違いないのだろう。まったくお前は!もー!

 

***

 

思えば怠け者ながら毎日何かしら予定を立てて、作業してこれただけでも奇跡なのだった。

 

それで一応の結果まで出ているのだから、これ以上のことを望むべくもないような気さえする。

 

その上で、生計を立てるという水準にはまだ到達できていないことも事実である。その(当然の)難しさに、息切れを起こしているに過ぎないと考えれば、深刻になる必要もないというか、あまり気も重くはならない。

 

誰にとっても難しいことを、人よりも難しい性質でもってやろうとしているのだから、ここで「もうダメだ」と思うのはもったいない。

 

いや「もうダメだ」ではあるのだけど、それはもう何年も前からそうなので、「もうダメだ」からこそ違うやり方を試して、続けてこれたのだということを思い出そう。

 

だとしたら、今はどう考えることで、行動へ結びつけることができるだろうか?昨日一日何もしなかったので、今日もまた休むということはしたくない。

 

調子に乗っているときは、できもしない方向へ夢を膨らまして、その興奮をもって作業にあたるということが出来ていた。これからの冬季間にむけて、別のやり方を用意しておく必要がありそうだ。

 

***

 

習慣化の極意はそれを習慣と思わず「やると間違いなく楽しいのでやる」の境地に至ることである。その楽しさは充足感と興奮の両方を満たしていなければいけない。

 

同時に、何もしないこと、何もしないで眠ることの不愉快さにフォーカスする。代謝や体温の低下を考えると、回復のためにベストな行動であるとも限らない。

 

そこから同じだけの時間を、もう少し「面白い」に差し向けることができれば理想ではある。「楽しい」はコンフォートゾーンを確保することだけど、「面白い」はそのゾーンを越えようとすることである。

 

ただし「面白い」は「間違いなく楽しい」とは限らない。逆に「間違いなく楽しいばかりでは『面白くない』」という言い方もできる。

 

その「面白い」への賭けに、コストをもう少し割くことができれば、「別に何もしなくてもいいけれど、それよりも良い過ごし方がある」というメンタリティで行動を活性化できるのではないか。

 

そこで、その賭けというか跳躍を、習慣化することを試してみてはどうか。

 

毎週火曜日は習慣に変化をつけるということにしたけれど、それとは別に、毎日何か些細なことでも知らないものに触れることをしようと思う。

 

一番簡単なのはアマゾンプライムで何か映画を観ることだ。それも律儀に最後まで観なくてもいい。

 

成功率は低くても、「何もしないで眠るよりはいい」と思える行動をもっと増やしていくことで、行動そのもののハードルを下げていこう。

 

***

 

本当は際限なく眠ることの一番の理由は「意識を保っていたくない」ということである。意識があると、過去の嫌なことをずっと思い出し続けてしまう。

 

しかし脳への負荷のかけ方を工夫すれば、意識を保ちつつ、フラッシュバックを防ぐということが可能であるはずだ。

 

それを体得することは、瞑想によって雑念を取り払うことにも通じるかもしれないけれど、座禅は腰に悪いし横になると寝てしまう。

 

悟りを開けそうにもない人間には、文明の利器による補助が必要だ。

 

何でもいいから自分のための方法論を確立させたい。


(引用元:2018年9月28日の日記




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